小野先生の一期一会地球旅㊵「海外医療事情視察団に添乗して(その5)」

一期一会 地球旅 40

海外医療事情視察団に添乗して、その5 趣味豊かな方々

Doctor Tourは、1971年から90年代まで長期にわたって担当させていただき、自身が添乗してお世話させていただいたことも20数回ある。最初のころは、33日間という長丁場であった。回を重ねるごとに短縮されて15日間位になっていったが、年に2団が派遣されることもあった。担当旅行会社も複数になり、いつも少しでもいい仕事をしようと心がけて実務に取り組んだ。90年代からは、看護関係については、より専門的に研修度合いを高めることも目指されて独自に派遣されることになったので筆者はそれを専門的に担当させていただくこととなった。こちらについては別途書かせていただくこととしたい。

さて、Doctor Tourには、毎年20~30人くらいのご参加があり、合計すると20数年間に500人前後の先生方とお付き合いさせていただいたことになる。全国各地に病院などがあるので偶々出張中、旅先で先生方がおられる医療機関に飛び込んで助けていただいたこともある。各グループの団長始めお世話になった方々はいずれも豊かな人間性と趣味をお持ちの方が多く、今日までご交誼いただいている方も多い。そこで、多くの先生方の中で特に印象深い方についてご紹介させていただこう。

♪ 素晴らしいハーモニーに感動 ♪

f昭和54年度(79年)の視察団は、6月23日に出発、世界一周であった。この時は32名のお客様に後輩のS社員と筆者が添乗という大きなグループであった。欧州は英独を主として見学、カナダはマックマスター保健科学センター、米国はニューヨークやワシントンDC、さらにサンフランシスコなどで医療事情などを視察された。この団には素晴らしい歌声の持ち主がおられ、旅行中にお仲間で見事なハーモニーを聴かせてくださった。31日間という長期の旅行であり、まだ、出発して一週間過ぎたところであったが、お二人の歌に続いて団員と周りの内外のお客様も加わって座は一気になごみ、団全体が一層打ち解けてそのあとの旅行が楽しくなっていった。北海道の景浦暁(かげうらさとる)氏と今野則道(こんののりみち)氏であった。お二方からはずっと年賀状を頂戴しているが36年間もこうしてご交誼くださっており、ありがたいことと感謝している。

d90年頃から、筆者が合唱団に加わって海外でのコンサートを開くための事務局を務めていたこともあって景浦先生にはそのこともお伝えしていた。氏は、医業の傍ら、合唱団の一員としてだけでなく、合唱指導や指揮、さらには男声合唱の愉しみとして、編曲集もお出しになっているマルチタレントである。そんな経緯もあって、今回ご紹介させていただきたいとお許しをお願いしたところ、快諾いただいた。そして、遥か昔のその日のことをつぎのように書いてくださった。

「もはや遠くなって記憶の彼方になった全社連の旅行を思い返してみますと、小野さんが今もなおご記憶されている今野先生との2重唱は、確か1979年(昭和54年)6月30日頃のルツェルンかラウターブルンネンのレストランの昼食でのハプニングだったと思います。関西か中国地方の社保病院のメンバーの一人が当日誕生日だったので、側にあったピアノを私が弾いて、その先生のためにみんなでHappy Birthday to youを歌ったのです。これで盛り上がり、私と今野先生が学生時代に共に同じ北大合唱団で男声合唱をしていたので、ウェルナーのHeidenröslein(野ばら)を2重唱で歌ったのですね。1番をドイツ語で、“Sah, ein Knab’ein Röslein steh’n”と歌いだしたころ、別のテーブルにいた女性ばかり7,8人のグループが一緒になって歌ってくれて大合唱になりました。ドイツかオーストリアの人達だったようで、さすがちゃんと美しくハモっていました。2番は日本語で歌ったので、彼女らは歌うのをやめて聴いてくれました。終わって大拍手、レストランは大いに盛り上がりました。とても楽しい思い出です。1年程前今野先生と飲む機会があって、やはり二人ともその記憶が鮮明に残っていて、懐かしく語り合ったものです。 - 中略 -

小生がその後も合唱に携わってきたことは小野さんもご存じの通りですが、現在は札幌市医師会の中に混声合唱団を組織して、その指揮を担当しているほか、長年続けて今はOBとなっている札幌放送合唱団OB会の指揮も担当しています。仕事はまだ現役ですが、そろそろ引退も考慮中です。 - 以下 略 -」

あああ数年前、北大合唱団東京OB会のコンサートにお招きいただき素晴らしい演奏に心が震えるような感動を覚えたが、その後頂戴したCDを楽しく鑑賞させていただいている。そして、今も旅行中にお聴かせ下さった歌声と旅のひと時を懐かしく思い出す。勿論、多くのファンがおられるであろう札幌の合唱団の皆さんが景浦先生の引退希望を容易に認めるとは思えない。実は、お二人の先生が素晴らしい歌声で楽しいひと時を演出してくださったその日は、スイスアルプスの中腹にある美しい村ミューレンに泊まった。ホテル・アイガーはその後、私の最も好きなホテルの一つになっていったが、これはいずれまた紹介させていただきたい。

この「地球旅」を書くにあたっていつも添乗業務と搭乗記録や写真、今も保存している「最終日程」、頂戴した報告書などを毎回首っ引きで開いては事実や様々な記憶を追いながら、間違いの無いようにと慎重を期している。 一方、お客様とは何十年も前に一度だけ、数日間あるいは一カ月余りご一緒させていただいた方が今も鮮明に当時のことを覚えていらっしゃることはとてもうれしい。そして、旅行中の楽しいハプニングや予期せぬ出来事が生涯を通じてお客様の脳裏に今も残っていることを思うと感謝のひとことに尽きるし、いつも真剣に臨んできたことが内心誇らしい。とは言いながらも、不幸な出来事であるとか、力不足や不手際が原因で自ら不都合を招来してご迷惑やご心配をおかけしたことを心から申し訳なく思っている。

絵画を楽しまれる方

昭和58年(1983年)の視察団は6月29日から4週間、欧米各国では、首都圏や大都市ではない地方の中核病院などの医療施設や病院協会など10数か所の専門視察が行われた。この中には、オタワ総合病院やハーバード大学の教育病院の一つであるボストンのベス・イスラエルなど世界的にも名前の通った医療施設の見学も含まれていた。この時は、全社連の当時の常務理事である千田通先生も加わっておられ、各国の医療事情を観られる一方、視察団のメンバーである各病院の先生方と地方の医療と病院が抱える問題などについても熱心に語り合っておられた。千田先はその数年後に惜しくも他界されたが健康面でも大変お気遣いくださり今も感謝している。

ああさて、この時のメンバーは21人、この中には本村八恵子先生がおられた。千葉県にある病院の内科部長でいらっしゃったが、ずっと今日まで水墨画の年賀状を頂戴している。毎年、その前年にお出かけになったご旅行先などであろうか美しい風景をお描きになり、書を添えてくださる。今年は、富士山であった。今は船橋市内に内科医院を開業されている。先日、今回ご紹介させていただきたいということで電話を差し上げたところ、とてもお元気なお声で快諾をいただいた。これからもお健やかに過ごされ、町のお医者さんとしてご活躍いただきたいと願っている。

毎年、視察団は報告書をお出しになっている。視察された病院などの様子であるとか、各国の医療事情や当時の世相、旅行中のこぼれ話などその団ごとの特徴がうかがえて興味深い。その中でもとりわけこの年の報告書の表紙には、ヨーロッパアルプスの秀峰マッターホルンが描かれ、印象深い。s「Zermatterhof 205号、7.8. pm6.30 窓より、 山口晃画」と署名がある。英国を振り出しにドイツのバイエルンからローマへ回り、ミラノで病院見学した翌日、バスでシンプロン峠を越えてスイスの山岳リゾート、ツェルマットに到着したのは7月8日、午後3時頃であっただろうか。まさにアルプス晴れのこの日、マッターホルンの絶景にメンバー全員が歓声を上げてこの秀峰に見入っておられた。旅行中は、ほとんどのメンバーがもっぱらカメラに各地の風景やスナップを収められていたが、山口先生は、写真よりは、行く先々でスケッチしておられた。訪れた病院や院内の様子、宿泊したホテルやレストラン、食事内容、バスから見た車窓風景、各地の空港、革命記念日の朝として軍隊のパレードが始まる前の静寂なシャンゼリゼ大通り、標高4200mのパイクスピーク頂上までバスで上り、空気が薄く呼吸困難を覚える、など各地の様子が絵手紙風に描かれている。

そして、この時の報告書には、各地の医療施設や医療事情など視察訪問報告と写真のほかに、たくさんのスケッチが加えられている。多くの報告書は、20~30ページくらいであるが、流石にこちらは41ページと分厚い。伊佐二久団長が書かれた編集後記の一部に、次のような記述がある。「いただいた厖大な資料と団員からのレポートをいかにうまく編集するかに腐心したが、力及ばず不満足な結果に終わったことをお詫びしたい。 幸い、山口団員が各所で巧みなスケッチを描かれ、その他の方々からきれいな写真をいただいたので、これ等を随所に挿入し彩をそえることができた。」

あ山口先生からも毎年、年賀状をいただいてきたが、昨年末、8月に逝去されたとのご挨拶をいただいた。驚いて、ご令室にお悔やみのハガキを差し上げたところ、折り返しお便りをいただいた。現職の医師の傍ら、その後も院内では絵画クラブを作って音楽と絵画は生活の友であったそうである。きっとお仲間や患者さんの中にもファンがたくさんおられたことであろう。氏は、あの時の視察報告書は勿論ご家族に紹介されているとは思ったが30年も前のことであり、余計なことかも知れないとは思いつつ、改めて報告書を複写してお送りした。折り返し、ご令室から、「本人がどんなに喜びますことか、最高の供養になります。」とお喜びいただいた。 そこで、今回、この地球旅で改めてご紹介させていただきたいとお願いしたところ、早速快諾いただいた。そして、そのお便りには次のような文面があった。「初めての海外でさぞや楽しく意義深い旅であったことと存じます。その後に生まれた三男が夫と同じ仕事に就き、私にはいっそう感慨深いものがあります。」

他にも、感動的な写真をお撮りになって表紙を飾られた方、毎年の賀状で書を楽しませてくださる方、などなどたくさんの方がおられる。これからも医業の傍ら、引き続きお元気で豊かな趣味と悠々たる日々をお過ごしいただきたい。

(資料 上から順に)

西ドイツ ヘッセン州 社会省 (医療・福祉・保険などについて聴講)

「かげやんの男声合唱の愉しみ 男声合唱編曲集」(表紙) 景浦 暁 著

ベルンオーバーラントのミューレン、谷の向こうにユングフラウ山塊が迫る!

年賀状(本村八恵子氏より 2015年正月)

昭和58年度 欧米医療情視察報告 (報告書 表紙)

写真は右から 山口 晃氏、筆者、千田 通氏

(多分、コロラド州デンバーのホテルにて?)

 

(2015/1/26)

小野 鎭