小野先生の一期一会地球旅64「ゆきわりそうの旅 オーストラリア(2)」

一期一会 地球旅 64

ゆきわりそうの旅 オーストラリア(その2)

11988年12月6日、ゆきわりそうのオーストラリア旅行団は1年近い準備期間を経て、メルボルンへ向けて出発された。とはいえ、予約と実際の搭乗へ向けて航空会社とのやり取りは平たんではなく、紆余曲折があった。その一つが、車いすのお客様のチェックインであった。空港側の説明では、搭乗手続きカウンターでお客様は、空港側に備え付けられた車いすに移乗して、お客様のそれはスーツケースなどと同様に預けてほしいということであった。

勿論、多くの場合はそうであることは知っていたが、今回は18人が手動の車いす使用であり、家族またはスタッフがそれぞれ介助している。重度の障がいのある人が多く、車いすは、個々のお客様の障がいに合わせてほとんどが特注である。少し長めのものがあるとか、高さが高いもの、あるいは部品がさらに加えられたものなどさまざまである。部品が紛失することがあるし、車いすそのものが破損するとそのお客様にとっては、手足の機能を無くされるのと同じことであろう。また、空港側の汎用型の車いすでは、お客様にとっては多くの場合、不具合であるとか、苦痛を伴うこともある。表現は違うが、サイズの合わない靴を履かされるのと同じことであろう。機内に持参できないことは勿論承知しているが、搭乗ゲートまで自車を使用し、機内入口で貨物として預けて、そこからはスタッフや添乗員が介助して所定の座席までお連れすることとさせてほしい、と主張した。航空会社から空港側、さらには到着後の空港(オーストラリア側)とも話が着いたとのことでこれを承諾してもらったのはかなりの日数が過ぎてからであった。今日では、車いすリクエストシートにも自車はチェックインカウンターで預けるか、それとも搭乗ゲートまで使用希望かとの質問項目もある。つまり、一般化しているということであるが、30年近く前は様々な不便とそれをどうやって克服するか、お客様~旅行会社~航空会社とそれぞれのところで様々な挑戦があったといってよいであろう。

搭乗ゲートでは、一般客に先だって車いすのお客様をスタッフや添乗員が抱っこしたり、二人で支えてそれぞれの座席までお連れした。当時はまだ機内用の小型車いすなどは無かったので人海戦術で臨んだ。ボーイング747(ジャンボ機)の中は思い切り広く、シートは3・4・3の配列であった。家族またはスタッフが横に着席し、グループ全体が座っている一帯には数席分の空席を確保してもらい、背伸びしたり、少し休めるようなスペースを作ることもQF側で配慮してもらえた。 飛び上がったあと、赤道とは海の上に赤い線が引かれているのかどうか確認することもせず、夜を通して南下すること7時間余り、窓の外が明るくなり、目をやると茶色の大地がどこまでも広がり、やがてそれは黄色から緑に変わり、メルボルン空港目指して機は高度を下げて行った。

搭乗するときと反対に、一般客が降りてから出発時に積み込まれた車いすが機の入り口にそれぞれ準備され、一人ずつ移乗して空港ビルへ入っていった。入国審査では、緊張もあったが係官の愛想良い笑顔で、“Good day! “と歓迎されて無事入国! 外へ出てみると、眩しいほどの青空と背の高いユーカリの並木、その下でエリス師とビアさんが満面の笑みを浮かべて出迎えて下さった。一行はそれまでの緊張がゆるみ、気持ちが和らいだ。
2人口200万のメルボルンの中心街から車で15分、住宅街の一角にニューマン・カレッジの学生寮があった。石造りのがっしりした建物で、廊下は天井が高く、各部屋はかなりの広さであった。残念ながら浴槽は固定式蛇口で使いにくかったが、二階に古い浴室があるのを見つけてこれを工夫して利用するなど積極的に活用された。正直なところ居心地という観点での不具合は否めなかったが、この寮では広い中庭の芝生が何よりもご機嫌であった。夕食後のひと時、車いすから下りて芝生の上に寝転んで歌を歌ったり、夜空を見上げながら南十字星を探したりの楽しい夕涼みが喜ばれた。 3滞在中は、メルボルンの市内見学、海岸での昼食、動物園でのコアラとの対面等のほか、エリス師の施設を訪問して、障害者の人たちと交歓もあった。この時のツアーのタイトルは、「ひまわり号オーストラリアの旅」であった。 メルボルンから100㎞位であろうか、バララット市がある。ベゴニアなどとりどりの花が咲き乱れた美しい町、かつては金も取れたそうで鉱山の跡が歴史公園になっていた。列車で2時間余り、メルボルンを発つ頃は曇っていた。途中で雨が降っていたが、しばらくすると次第に晴れてきて、大きな虹がでた。一同は大歓声、素晴らしい思い出となった。

この旅行では、それまでの旅行業務について大きく見直すことを次第に意識するようになった。それは、この旅行を準備した様々な課程であり、旅行条件であり、そして皆様から伺ったたくさんの貴重なお話しによるものであった。

学生寮にはサロンがあった。スタッフがお子さんを介助したりして、家族は日頃の在宅介護の厳しい時間から解放されてゆっくり語り合ったり、お茶を楽しんだりの時間を過ごされた。そして、それぞれのご家族がこれまでの日々、人生について語ってくださった。ある方は、長女を23歳で白血病でなくされ、長男である弟さんは出産時に何かのトラブルがあって重度の障がいが起きてそのまま今日に至っておられるとのことであった。多くの方が脳性麻痺などの肢体不自由、あるいは最重度の知的障害など、様々な方がおられた。今でこそ、お子さんのことについても明るくしゃべってくださったが、ここに至るまでには筆舌に尽くしがたい日々を過ごしてこられたのであろう、ということが察せられた。そして、この旅行に参加して今こうして同じような境遇を過ごしてきた人たちと話しをすることができてほんとによかった、と異口同音に語っておられた。この時、伺った話と旅行に参加されて得られた喜びをお聞きしてこの旅行を企画され、取扱業務を命じてくださった姥山さんに感謝すると共に、勇気をもって参加された52名のお客様に心からの敬意を表する思いであった。

地域福祉研究会ゆきわりそうでは、創立10周年を記念して、「ノーマライゼーションをめざして」を出版(中央法規出版 1997年)された。その中に、このオーストラリア旅行でのいろいろな方の思い出や、それから後にも第2回目の豪州はじめ海外各地へ出かけられ、旅行から得られたパワーが紹介されている。その中にメルボルンへご参加された素晴らしいご一家が紹介されており、とても感動的である。そのことを次号で紹介させていただきたい。

(資料 上から順に)

ひまわり号 オーストラリアの旅 携行日程 (1988年12月)

メルボルン大学 ニューマン・カレッジ 学生寮の中庭にて (同上)

ヴィクトリア州バララットの歴史公園にて(同上)

(2015/07/14)

小 野  鎭