一期一会地球旅138「地球の歴史を見に行こう その3 フェニックスからセドナへ」

一期一会 地球旅 138

地球の歴史を見に行こう その3 フェニックスからセドナへ

昨夜は、日本を発ってロスで乗り換え、当地フェニックスに着いてホテルにチェックイン、近くのレストランで夕食、ホテルへ戻って翌日(つまり本日)の準備を済ませ、やっとシャワーを浴びたのは深夜であった。太平洋線では日付が変わらないため随分長い一日であり、さすがにぐったり。短い睡眠ではあったがさっぱりした目覚めであった。窓のシェードを開けて外をのぞくと明るい朝の陽が市街を照らし、少し離れた工事中のビルの上ではすでにヘルメット姿の作業員が動いていた。アメリカでも突貫工事を行うらしい。多分、メンバー各位も昨夜は夕食後、部屋に戻るとそのまま爆睡状態であったことだろう。今朝は爽やかな笑顔にお会いできることを期待して朝食のレストランへ向かうべく部屋を出た。

レストランの開店時間まで少し間があったのでエレベーターで上層階まで上がり、窓から外をのぞいてみた。1目の続く限りメトロポリタン・フェニックス(フェニックスと周辺をふくむ都市圏)の市街地が広がっており、それほど遠くないところに大小二つの三角形の岩山があった。Camelback Mountainと呼ばれており、メトロ・フェニックスのシンボルマークの一つ。ラクダが座っている形に見えるところから名づけられている。初めて当地を訪れた40数年前は町の中心部からほんの10分ほどタクシーで走ると大小のサボテンが立つ荒れ地が広がり、いわば岩石砂漠と称される地形であった。自分は、ラクダ山と呼んでいたが、その後、当地を訪れる度に砂漠を見にタクシーの所要時間は少しずつ伸び、90年代にはハイウェイを走ってしばらく行かないとそのような風景は見られなくなっていった。ラクダ山の周辺からさらにその向こうまで市街地が広がっていた。アリゾナは、1912年に米国に加わったContinental USA最後の州であり、その後にはアラスカとハワイが加わって50州と連邦直轄地であるコロンビア特別区(Washington DC)からなるアメリカ合衆国となっている。

フェニックスは、80年代ごろから医療と看護、高齢者向けサービス産業、新都市、情報や金融などの産業が振興して急速に発展しており、自分は2000年までほとんど1,2年おきくらいに訪れていた。添乗だけでなく通訳も兼務していたのでいっそうこの一帯についての興味が深くなっていた。一日の視察研修が終わり、夕食はフェニックス市内ではなく、隣町のスコッツデールのレストランであったり、西部開拓時代の町並み再現した小型のテーマパークにお客様を案内し、帰路、ラクダ山の中腹を通るドライブウェイから眺める夜景をお楽しみいただいたりした。サンシティやサンシティ・ウエストはリタイアメントコミュニティがたくさんあることで知られている。昔よく訪れたサマリタン・ヘルスケア医療事業体はValley of the Sunの先端医療サービスで著名であり、認知症に関する研究とサービス面でもさらに進んでいるとのこと。久しぶりに訪れたフェニックスであるが今回は一晩、市内や郊外を見学することは予定には含まれていない。とは申せ、折角の機会であったのでホームページを繰りながら一帯の近況を知ることが楽しかった。15年ぶりに訪れたフェニックス、今回は専門視察ではなくグランドキャニオン国立公園での遊覧と地球の歴史探訪が主たる目的、懐旧談は個人の胸にとどめて、レストランへ急いだ。

レストランがちょうど開かれた時間でブッフェ式朝食には米国ならではのパンケーキや山ほどのフルーツサラダとジュース類、クロワッサンやベーグルもいっぱい、コーヒーの香りが食欲をそそる。メニューの種類も量もたっぷり、体重とカロリーを気にしながらも食欲には勝てない。メンバーも少しずつ入って来られる、どなたも熟睡されたとみえ、さっぱりした顔で、おはようございます!と言葉を交わす。皆さん、元気を取り戻されたことがよくわかった。まだ朝が早いのでレストランは私たちのメンバーが殆どであったが、中国人も数人、アメリカ観光に来ているらしい。トレイにいっぱいの料理をとってテーブルへ運び、仲間同士でポーズをとってスマホで先ずは写真、かつては我々日本人もそうであった。当時はスマホが無かったのでどうしてもぎこちない笑顔になって、カメラに向かってポーズをとったり、日本から持参したティーバッグや梅干をそっと取り出しては少しずつ海外旅行の食事に慣れていった人も多い。

メンバーに朝の挨拶、そして今日の予定をもう一度説明し、荷物を出して、バスへの乗り込みの時間、お忘れ物が無いように、と念を押して出発に備える。午前8時半頃出発、先ずは北方200㎞先にあるセドナを目指す。2都心を抜けて市街地からすぐにI-17(インターステート=州際高速道路17号線)に乗り、そのまま北上した。市街地を抜けると次第に荒野が広がり、車窓にはサボテンの林が続く。次第に高度が上がって行き、いつしかサボテンの林もなくなり、一面に低い灌木やブッシュが広がり、はるかに丘陵地がどこまでも続いていた。2時間余り走ってモンテズマの遺跡付近からScenic Bywayと呼ばれる脇道へ入る。インターステートは快適な自動車専用道路ではあるが市街地や景勝地は迂回したり、バイパスになっているので、景観や田舎町を楽しむには、Scenic Bywayと呼ばれる脇道を選ぶのも一興。ほどなく、前方には赤茶けた岩山群が現れ、住宅やホテル、レストラン、土産物店などが現れセドナの中心部へ入っていった。

ネイティブ・アメリカの人たちは、母なる大地である地球を敬い、万物に精霊が宿ると考え、セドナを神々の住む聖地として崇めてきたという。3そこで、特別な儀式を除いて彼らはこの地に住むことはしなかったとのこと。ところが、近年スピリチュアルな町として脚光を浴び、アメリカで最も美しいところ(USA Weekend誌)として紹介されたことなどもあって多くの人たちがこの地にあるVortex(パワースポット)を求め、あるいは観光で訪れるようになっている。4今や日本のガイドブックでも紹介されており、日本人観光客にも次第にポピュラーになってきていると思われる。赤い釣鐘型や様々な形の岩山が町を取り囲み、木々の緑、住宅街の庭先の美しい花々など、そして何よりも澄んだ青い空と眩しい陽射しなど、今やパワースポットのある観光地として世界的にも知られている。中心部には、観光客が溢れ、たくさんのクルマが行き交っていた。個人的には幾度もこの町で休憩したり、昼食をとったりすることでいくつものグループを案内してきたが、数十年前は、ほんの小さな集落であったが訪れる度にこの一帯がにぎやかになってきたことを感じつつ今に至っている。

昼食は、ここではハンバーガーショップのマクドナルドを予定していた。予約するまでもなく、飛び込みであるが理由があった。5マックの看板は、どこでも赤字に黄色の大きなMであるが、セドナのそれは緑である。アリゾナ一帯では、昔からトルコ石が採れ、とくにネイティブの人たちには人気のあるアクセサリーであり、大切な財産でもある。トルコ石の鮮やかな緑色にあやかってその色が使われているという。世界にたった一軒の緑色の看板はガイドブックにも紹介されていた。そういえば、2013年のフィンランドでは、北極圏のロヴァニエミにある世界最北のマックで夕食をとったことを思い出す。ドライバーはセドナを幾度か通ってはいるがマックに寄ったことはないという。幾度か迷いながらもカーナビをにらみ、ショッピングモールの一角にある緑の看板にたどり着くことができた。6 幸い(?)あまり混んではおらず、ほとんど貸切状態、メンバーは要領よく注文してQuick Lunchを終えた。昼食後の小休止はフリータイム。連れだってスーパーマーケットをのぞく。これも旅の経験の一つ。現地の人たちの生活の一端を知る意味からも興味深いひとときである。休憩を終えて、ふたたび名実ともに美しいScenic Bywayを走ると次第に高度が上がって行き、両側には一面の森が広がっていった。やがてオーククリーク・キャニオンの高台の展望台に至った。眼下にはどこまでも森林が広がり、はるかにセドナの赤い岩山群が美しい光景を見せていた。

(資料 上から順に  いずれも2015年9月撮影)

フェニックス市街地とはるかにラクダ山

バスの車窓から見るサボテンの林(サグァロ・サボテン)

セドナのランドマーク、Bell Rock

セドナにてメンバー勢ぞろい!

緑のマークのマック

オーククリーク・キャニオン

(2016/12/13)

小 野  鎭