一期一会 地球旅 179 リンデンハウス 平和を願って広島へ(8) 広島平和記念資料館にて

式典は少し伸びて午前8時50分頃終了した。空はさらに青さを増し、白い雲が数片浮かんでいた。少しずつ暑さが加わってきて白いテントや夏空に照り映える木々の葉がまぶしさを加えていた。しかしながらこの時間はまだ我慢できないような暑さではなく、むしろ爽やかな清々しさを覚えるような気分であった。平和記念式典会場内は、次第に席を立ち、出口へ急ぐ人、慰霊碑へ向かってお参りに行く人など、いくつかの列ができており、引き続き混雑していた。私たちのメンバーも式典入口でもらった花を慰霊碑に手向けようと参拝客の列に続いた。明治神宮の初詣のような有様で思うようには列が進まず、たくさんの人が重なっていて頭越しあるいは肩越しに合掌するような塩梅。他のメンバーも似たような状態であった。慰霊碑の真ん前までは行くことができず、加えて、時間的制約があり、今回は原爆ドームそのものも遠くから眺めるしかできなかったことが悔やまれた。

はるか後方に原爆ドーム(屋根の部分)

「参拝」を終え、続いて平和記念資料館へむかった。前述したように資料館の本館は今年春の大型連休から改築工事が始まっており、代わりに連休前に改築を終えた東館を見学した。

 

 

改築工事は大規模なもので来年までかかるとか。そこで主要な展示品は東館に陳列されている。本館に比べるといささか小ぶりではあるが、十分見応えがあり、決して期待を裏切るようなものではなかった。式典に参加したと思われる人もたくさんあり、外国からの代表団の団員と思しきグループもいくつかあった。彼らの眼には資料館で見たたくさんの遺品や資料はどのように映ったのであろうか、それ自体、私自身が聞いてみたいことでもあった。式典では、広島市長の平和宣言やこども代表の平和への誓いを聞きながら原爆の恐ろしさを客観的に感じていたと思われる。加えて、資料館に展示されているたくさんの遺品や写真、絵画や映像などを通してその被害の大きさと恐ろしさに目を覆いたくなるような惨状に言葉もなくしている様子が窺えた。

72年前のこの日、そして、この時間、鋭い閃光が空を走り、瞬時にして地上のあらゆるものを焼きつくす高熱と熱風で数万の人が命を落としたと聞く。助かった人も全身に火傷を負って焼けただれた皮膚がだらりと下がったまま激痛と喉の渇きに水を求めて目の前の川に入り、おぼれ、助けを求める夥しい人など阿鼻叫喚、地獄絵がそこここに広がっていたのであろう。想像するだけでもその有様は筆舌に尽くしがたい状況であったに相違ない。助かった人たちも多くがその後も長いこと、中には今日まで原爆症に苦しんでいる人もあ るという。その朝、迫りくる恐怖など知る由もない市民たちは職場や学校に向かい、子どもたちは庭先で三輪車に乗ったりして遊んでいただろう。それが一瞬にして地獄に替わったとことが展示物や写真、日記、絵画などで紹介されていた。黒焦げになった弁当箱、8時15分を示したままの時計、ボロボロになった学生服やひしゃげた台所用品などを見ると人々の日々の生活の場があっという間に想像を絶する世界に替わってしまったであろうことが わかる。その3日後に今度は長崎で同じ惨状が繰り広げられている。言い知れ ぬ恐怖と憤りを覚え、この惨劇を二度と繰り返してはならないと思うことしきりであった。少し前にテレビで放映されていた原爆で被災して焼けただれた皮膚と髪の毛、体中真っ黒にな って水を求めている人たちの写真とそこに添えられている文章が紹介されていた。写真を見ながら、その文章を読むと改めて身の毛がよだつような恐怖を覚えた。鶴を折り続けていた少女の話も紹介されていた。

8時15分を示したままの腕時計

8時15分を示したままの腕時計

2階の広いホールに広島市内の模型が展示されており、チェコの建築家、ヤン・レツルの設計になる広島県物産陳列館の元の姿と600m上空で原爆がさく裂して広島の街を一瞬して市の街に変えていった様子が紹介されている。広島平和記念碑(原爆ドーム)は1996年に世界遺産委員会で登録が審議された。アメリカと中国が戦争に関する遺産の登録について懸念する声明を出したものの登録決議には反対せず、世界遺産として登録が実現された。原爆ドームは、核兵器廃絶と世界恒久平和という「ヒロシマの願い」を発信し続ける世界的なモニュメントとなった。世界遺産のなかには、戦争や紛争、人種差別や奴隷貿易など、人類が歴史上犯してきた過ちを記憶にとどめ、繰り返さないよう教訓とするため「負の遺産」と呼ばれるものがある。それ自体は世界遺産条約で定義されているわけではないが、世界遺産条約の理念の中では重要である。「広島の平和記念碑(原爆ドーム)」や「アウシュビッツ・ビルケナウ:

ナチス・ドイツの強制絶滅収容所」やアフリカの「ゴレ島」などがあり、マーシャル諸島共和国の「ビキニ環礁・核実験となった海」もそれに類するといわれている。(世界遺産検定2級公式テキストより)

ボロボロになった学生服

資料館の地下一階には昨年5月にバラク・オバマ氏が現職のアメリカ大統領として初めて広島の平和記念碑を訪れた。核兵器 廃絶へ向けてのメッセージを贈り、彼自身が折った折り鶴2羽が展示されている。同じ階には、「はだしのゲン」の原画も展示されていた。別のコーナーには、全身にやけどを負って亡くなった息子 を背負って歩いている父親の姿の絵も展示されており、そこに添えられた文章を読むと悲しさと無念さ、そして、言い知れぬ恐ろしさ以外の何もなかった。

メンバー各位にはむつかしい表現もあったと思われるが資料館で見た数々の展示品や写真から受けた印象は強烈であったらしく、見学を終えてバスに乗って昼食に向かう車中でもしばらくは重苦しい雰囲気が漂っていた。思ったことは、ぜひ、一人でも多く広島へ足を運んでほしいということであった。自分自身、もう一度、平和記念式典に参加して核兵器廃絶を訴え、平和であることを願い、資料館ではゆっくり時間をかけてもっと丁寧に見学したいと思いながら平和記念公園を後にした。  (以下、次号とさせていただきます)

全身にやけどを負って水を求める人たち(展示写真)

上の写真に添えられていることば

 

バラク・オバマ大統領の訪問

息子を背負う父親の姿(展示されていた絵)

上の絵に添えられていることば

平和記念資料館の見学を終えて

(2017/10/12)

小 野  鎭