一期一会 地球旅 191 台湾への旅 (6) まだまだ元気に臺灣旅行(3)

羽田から台北迄は4時間余、日本とは時差が一時間あるのでほぼ定刻12時20分に着いた。松山空港は台北市の中心部から北東方向、今はどこまでも市街地が広がっており、空港の周りにも住宅地が続き、北側には高速道路と基隆河、その向こう側は丘陵地となっている。着陸へむけて高度を下げる機の狭い窓から眼下を望むとちょうど朱塗りの特徴ある大きな建物が見えた。圓山大飯店

(Grand Hotel)であり、今も健在。小高い丘の上に立っており、広大な緑の敷地が広がっており、その前には高速道路の入り口がありたくさんのクルマが行き交っていた。

 

予定通り到着し、入国審査と通関を終えて外へ出ると「まだまだ元気に台湾旅行」と書いた案内板を掲げた男性がにこにこしながら待ってくれていた。60歳前後であろうか、本日から4日間案内してくれるローカルガイドの周宏禧氏である。現地手配会社からは我々一行に合わせて、若い世代よりもそれなりに人生経験豊かな人物の方を選びました、と聞いている。グループをにこやかに歓迎してくれながらターミナルビルを出て専用車へ誘導してくれた。道々、もう一方の桃園空港到着の関西・九州勢を迎えに行ってくれているガイドと連絡を取ってもらい、そちらも到着してマイクロバスへ向かっているとのことでまずは一安心。自分が付いているグループは何かあってもそれなりに対応できるがガイド任せはやはり予定通り運ばれていることを確認しなければ落ち着かない。何事もそうであるが、添乗業務も予定通りということが何よりも鉄則である。

 

空港前の通りを出るとすぐに市街地の大通りには車があふれている感じである。テレビなどで街の様子は見ているのでさほど驚きもしないが車線いっぱいに並んでいるクルマは信号が変わるたびにかなりのスピ

 

ードで一斉に走り出す。それは東京の比ではなさそうである。そしてそれ以上に忙しいのがバイクである。2人乗りも多く、ヘルメットはかぶっていないグルー

プもかなりある。とにかく、バイクの割合が多い

のがもう一つの特徴であろうか。

 

最初に訪れたのが龍山寺であった。市内中心部の少し西側の万華区にあり一帯は下町風というのであろうか。市内観光の目玉の一つであり

、観光バスが何台も連なり、そのわきにはかなりの数のタクシーが客待ちをしていた。中国大陸の福建省から人々が移住してきた当時、生活環境が悪く疫病が流行したため神のご加護と平安を祈るために1738年に建てられたのがこの寺院の始まりとあり台北最古の寺院といわれている。道教や儒教の影響もうけているが基本的には仏教寺院で本堂には観世音菩薩を中心に文殊、普賢菩薩などが祀られている。本殿には、8頭の龍がらせん状に複雑な層を成して輪廻を象徴している円形天井があり、一本の釘も使われていない匠の技であり、国宝にも指定されているとのこと。第二次大戦中は米軍の空襲で本堂は全焼したがこの観世音菩薩だけは無傷であったそうで、観音様

のおひざ元は安全だと信じられ、人々は龍山寺に集まったといわれている。その後、地震や台風、火災などに遭いながらもその都度、改修・修復され、今の伽藍は1953年に再建されたもので昔も今も龍山寺は台湾の人々の心のよりどころとなっているとのこと。

参拝客や観光客でにぎわう境内は熱気が感じられ、一段高くなっている本殿脇を中に入るとさらに後殿に航海の守護女神である媽祖、学問の神として文昌帝君、商業の神として関羽など道教や儒教の歴史上の人物も併せて祀られている。日本では、古来の自然崇拝から生まれた神道と、大陸伝来の仏教が融合した神仏習合の思想があるが多くの多くの寺社が明治政府の神仏分離令で寺と神社に分けられている。台湾では、この龍山寺のように多様な神様を一緒に祀っているお寺がよく見られるそうで、寛大でおおらかなお国柄をあらわしているのは多くの少数民族からなるこの島が長い歴史の特徴でもあるのだろうか。境内に入るときはかなりの段差があるが、そのわ

きにはスロープが作られており、大きく車いすマークが表示されていたことが嬉しかった。メンバーは周氏の説明に耳を傾けながら、先ずは旅の安全と健康を願って太い線香をあげて参拝した。  (以下、次号とさせていただきます)

 

(資料、上から順に。 ことわり無しは2017年11月8日撮影)

台北・松山空港と圓山大飯店(資料借用)

現地ガイド 周氏の説明に耳を傾ける。

参拝者や観光客でにぎわっている。女子中学生や日本からの修学旅行生も多く見られる。

まだまだ元気に台湾旅行 関東勢 龍山寺境内にて。

境内には車いすマークも大きく貼ってあった。

 

(2018/02/28)

小 野  鎭